コピーライターが気になる歌詞

我輩はコピーライターである。 出世作はまだない。
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Mr.Children 『タガタメ』
タタカッテ タタカッテ
タガタメ タタカッテ
タタカッテ ダレ カッタ
タガタメダ タガタメダ
タガタメ タタカッタ


 







戦って 戦って
誰がため 戦って
戦って 誰 勝った?
誰がためだ? 誰がためだ?
誰がため 戦った?



同じ種同士で殺し合う生物は、さほど多くない。
しかも生命維持や種の保存という、生物としての根源的な理由ではなく殺し合う生物は、やはり人間くらいなものだろう。

ある者は領土を奪うために、
ある者は信じる宗教のために、
ある者は偏った信念のために、
ある者は性的な快楽のために、
ある者はカッとなった衝動のために、
そしてある者はさしたる理由もなしに。

戦争や殺人事件。平穏な生活を脅かす出来事の中でも、特に少年犯罪、少年による殺人についてこの歌ではフォーカスして歌い上げている。

カタカナの淡々としたリズムでの羅列が重なり合っていくうちに、苛立ちを伴った高揚感が増幅していく。
誰がため? がいつしか、何のため?
という疑問をも呼び起こす。
何のため?殺したのか。
何のため?生きてるのか。


子供らを被害者に 加害者にもせずに
この街で暮らすため まず何をすべきだろう?
でももしも被害者に 加害者になったとき
出来ることと言えば
涙を流し 瞼を腫らし
祈る他にないのか?


この歌詞のポイントは、加害者も被害者と同等に被害者であるとする視線である。
法的、あるいは道義的な観点からすれば、この二つを並列に扱うことはあり得ない。
ともすれば、被害者に対する配慮が欠けるとも、刑罰の根本的な在り方を否定するとも、そんな批判も生じうる。

自分がその親になってみたならば、という議論は必ずしも好まない。
「すべきだろう?」というベキ論を振りかざされるのも正直、辟易する。

しかしそれでも、被害者の親になった場合の絶望感と復讐心、加害者の親になったときの絶望感と痛恨の念は、想像を絶するのも狂おしい。
この歌はそうした状況へと、聴く者を引き摺り込む。
誰もが被害者の、加害者の親になった場合の絶望感を擬似的に体験させられる。
しかもはじめは、疑問を浴びせられ、救いもないままに。


…歌詞の前半部分に、後半部分が応えるという形式になっている。
もし、自分の子供が被害者に、加害者になってしまったとしたら…
或いは、なってしまったとしても…


かろうじて出来ることは 
相変わらず 性懲りもなく
愛すこと意外にない




「愛すこと意外にない」というメッセージは、取り返しのつかない事態に直面した場合の対処法、ただそれだけではない。そう感じる。
そうならないために、愛せよ、というメッセージとしても受け取れる気がする。

「誰がため?」という問いかけも、それはただ愛すべき者ため、
そのために生きろ、というメッセージとして響いてくるようにも思うのである。










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