コピーライターが気になる歌詞

我輩はコピーライターである。 出世作はまだない。
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THE YELLOW MONKEY 『JAM』
外国で飛行機が落ちました
ニュースキャスターはうれしそうに
乗客に日本人はいませんでした
いませんでした
いませんでした…









このブログのタイトルは、「コピーライターが気になる歌詞」であって、
「コピーライターが好きな歌詞」ではないということ。
その点をまずは確認させていただきたい。

そして、この歌詞は “気になる” けど、“好きではない” のです。
それは個人的な嗜好とか色々あるので、なかなか難しいところではあるのですが、
私はこの歌詞を、あまり評価できない。

一言で言うと、あざとい感じがどうしてもしてしまう。
狙いすぎ、とも言えるかもしれないけれど。

とくに“うれしそうに”は、あきらかに言い過ぎで、狙い過ぎ。
おそらく事実として本当はそんなことはなくて、意識的に自分の思い描く世界観のために事実を歪めてしまっている。
ヤラセっぽくなっちゃってる。
だから、心で素直に思ったことではなくて、これを言ったら効くんじゃねえか、という意図や計算や演出やなんやらが、うっすらと見えてしまっていて、そこで冷めてしまうのです。

あともう一つだけ言うと、まさにこの歌詞で描かれているようなことを、僕は小学生のときに普通に感じて考えていたりして、俺のようなガキと同じレベルでどうする、みたいな見方になってしまう。こればっかりは、どうしようもないですけどね。

斉藤和義の歌詞にも、たまーに、こうしたあざとさを感じてしまうようなものがあったりするけど、彼の場合は地がああだから、それは部分的なものですんでしまう。

だけど、吉井さんの場合それが肝だったりもして、キャラクターにビジュアル系の要素もあったりするから演じなきゃ行けない部分もあったり、PVのできもいまいちだったり…なんだかんだ色々あって、残念な結果になってしまったのかもしれない。

彼はきっと才能はあるんだろうけど、天才ではない。
頭はいいんだろうけど、頭がいいだけに周到にやりすぎてしまう。

そんな感じですかね。

そんな中でも、

あの偉い発明家も 凶悪な犯罪者も
みんな昔 子供だってね


というフレーズはすごくいいところを突いている。
あざとさも感じないし、これは秀逸だと、素直に思います。










Comment
≪この記事へのコメント≫
吉井氏は、わざとらしい詞をわざとらしく書ける処が鬼才と言われる所以なのに
心に思っててもそれを表現することが出来なきゃですよ
「実は私もそう思ってました」って、どこぞの藍子さんじゃないんだから
それとJAMの歌詞ですごいのは「素敵なものが欲しいけどあんまり売ってないから好きな歌を歌う」
この部分でしょ
2007/06/21(木) 09:15:32 | URL | 俚 #uG9d5srs[ 編集]
吉井さんの闇の部分なのに
JAMは吉井さんの被害妄想的発想を歌詞にしたんですよ。
だからあの
 ニュースキャスターはうれしそうに・・
となるわけです。
うれしそうに言ってるニュースキャスターなんて見たことありますか?いないでしょww
コピーライターさんならその辺を見極めて欲しいですねー。
ちなみに私も↑の方と同
 ステキなものが欲しいから・・
この部分が好きです
2007/06/21(木) 11:00:49 | URL | まみー #.20cHcNo[ 編集]
JAMについて
コメントありがとうございます。
手厳しいご指摘も。

「実は私もそう思っていました」というような見え方になってしまいますかね、やっぱり。失礼しました。
ただこれはほんとの話で、たしか小学生の頃に日記だか作文だかに「乗客に日本人はいませんでした」というコメントについての違和感を書いたんですね。小学生なりの違和感と文章ですけど。

何を書いたのか記憶は曖昧ですが、その違和感はやっぱり確かにあって、だけど証拠として提出せよと言われればもちろんそんなものは今はないから……しょうがないですね。
表現しようにも田舎の小学生には限界もあり。。。

ただ一つ確かなのは、着眼点としては斬新なものというものよりも、“あるある”に近いところにメッセージの落ちどころがあって、そうした共感を得ようという狙いであれば成功しているのかもしれません。
少なくとも僕が、今の時代において「気になっている」としてブログに書いたり、コメントがあったりするという現象において、この歌詞の存在感は確かなものなのでしょう。


>JAMは吉井さんの被害妄想的発想を歌詞にしたんですよ。

⇒なるほど。そこまではわかるようでわかっていませんでした。失礼しました。
つまり、歌詞で描かれている世界は現実ではなく、吉井氏の主観から見える妄想の風景ということでしょうか。
かなり深いですね。
そこまでは僕の日本語力では読み取れませんでした。
正直、歌詞全体を通しで読み解いていても、現実と虚構の階層のレベルがフラットに見えたので、なかなか読み解くのはそうとうな難問かと。
もしかしたら実際にそんな場面が昔はあったりしたのかな、と思ったりもしていました。


最後に。

>「素敵なものが欲しいけどあんまり売ってないから好きな歌を歌う」

⇒評価の高かったこの部分について。
 僕にはどうにも難しいところもあるのですが、

「素敵なものが欲しいけどあんまり売ってないから」⇒「好きな歌を歌う」

という接続には、意図的な論理的飛躍があって、そこがこの歌詞のポイントだろうと思うのですけど、少なくとも僕の腑には落ちないところがあって、伝えたいメッセージの着地点が見えにくいのです。

恐らく本当は、

明るさに包まれて 切なさに酔いしれて
影も形もない僕は
好きなものがほしいけど あんまり売っていないから 好きな歌を歌う

という部分全体で考えなくてはいけないんでしょうけど、それにしても、孤独感や絶望感からアイデンティティの喪失状態に陥りながらも、最後にそれでも歌がある。好きな歌を歌うことで、自身の救済を試みる。。。
…と、大枠ではこういった内容になるのかと
思うのですが…
作者の思想的背景とは方法論的に切り離して、純粋なテクストとして読み解く場合には、こうした見え方にもなるのですが、それにしてもなかなか僕にはメッセージの訴えたい部分の共感という点において難しい部分です。

もっと素直な感性で捉えられる素地があればいいのですけど。。。
もしもっと明快な答えや、深い意味内容で説明していただけるようであれば、是非おしえていただきたく。
お願いします。


ちなみに、僕が好きだといったこの歌詞↓

 あの偉い発明家も 凶悪な犯罪者も
 みんな昔 子供だってね
 
これは広がりを含んだ部分だなあと思っています。
環境要因が人間の性格形成や行動様式にいかに影響を与えうるのか?という問題だったり、はたまた性善説や性悪説のような議論、さらには犯罪発症率と遺伝子との関係など、色々と幅広く想起させられるからです。

深く連想させてすてきだなぁ、と。
発明家と犯罪者の対比も絶妙。

といったところです。

失礼しました。


☆☆☆
と、こうしていろいろコメントをしたりして、ちょっとした議論がひろがりが生まれつつあることで、もしかしたら吉井氏の術中にはまっているのかもしれませんね。
そういう意味でも、時代を超えて時間差バイラルを発生させることのできる、すごい歌。それは間違いないのでしょう。







2007/06/21(木) 20:49:47 | URL | kiku #Di5TU3Tw[ 編集]
この歌は社会や人間の矛盾を指摘する歌じゃない
部屋に独りで墜落事故のニュースを見ていた。キャスターの言葉に違和感を覚えたことから、社会や人間といったものに不信感を抱く。飛行機が落ちて多くの犠牲者が出たのに、日本人がいないからと喜んでいいのか?偉人も凶悪犯もみんな最初は同じ子供だったはずなのに、悪いのは周りの環境じゃないか?そんな世界は間違ってる。自分は正しい心を持っていたい。

しかし何かおかしい。乗客に日本人がいなかったのは家族や同じ日本人にとっていいことだし、昔は子供だからって犯罪者はやっぱり悪人だ。ニュースキャスターが嬉しそうに見えたのは、自分がそう捉えていたからだ。それは自分でも分かっていて、むしろ自分自身に矛盾が生じてしまっている。何を思えばいいのか、何て言えばいいのかも分からない。

正しい心、素敵なもの、それは所詮キレイごとで、売っているものを買うように簡単にはつかめない。でも好きな歌を歌う自分の心は本当だ。世界がどうであろうと、そんなことは分からなくなってしまった。ただ世界がどうなろうと、君にあいたい、君と抱き合いたい。自分の中で、その世界だけは本当だ。



ということだと思うんだけどなぁ・・・
2008/03/29(土) 13:39:09 | URL | 黄猿 #-[ 編集]
cogito, ergo sum
なるほど…
全体をまとめると、きっとそういうことになるのでしょうね。
「コギト・エルゴ・スム=我思う、ゆえに我あり」でもないですが、方法的懐疑の果てに、疑っている私の意識作用だけは疑い得ないものとしたデカルトと同じ命題がここにあるのかもしれません。

「何百万という人類の滅亡より、自分の小指のけちな痛みの方が心配なものだ。」
これはウィリアム・ハズリットという批評家の言葉ですが、極端なことを言いながらも、人間の心情を確かに言い当てている部分があるように思えてなりません。
…こんな言葉を、ふと、思い出したりもしました。

現象学という学問では、方法的独我論という手法を用いたりもするようですが、この歌にもどこか重なるところがあるのでしょうか。

いずれにせよ、この世界観には、神経症的なニュアンスを、どことなく感じてしまいますね。




2008/04/01(火) 00:29:54 | URL | kiku #Di5TU3Tw[ 編集]
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