コピーライターが気になる歌詞

我輩はコピーライターである。 出世作はまだない。
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ハナレグミ 『ハンキーパンキー』
変わることをこばむのでなく
変われたことをほめたいんだ
傷を嘆くよりも
出逢えたことを歌いたいんだ






hanky-panky
【名】
〈話〉不正、いんちき、ちょろまかし
〈話〉性的な[不道徳な]行為、性愛{せいあい}の戯れ
〈英話〉手品


…という意味だそうです。
「遊び心」みたいな意味もあったり、同タイトルの映画や下着ブランドもあるみたいですけど。

それは、、、ひとまずさておき
(触れると長引きそうなので、さておかせていただくとして…)、
取り上げた歌詞は、すごく前向きなメッセージである…と同時に
「後ろ向きになりがちだから…」という言葉を付け足したい気分になる。

 変わることをこばむのでなく
 変われたことをほめたいんだ
 傷を嘆くよりも
 出逢えたことを歌いたいんだ


これが単純に前向きなメッセージではなく、
「後ろを向きがちだから、前を向こうよ」というメッセージであること。
変わることをこばんでいたり、傷を嘆いていた日々が前提としてあったこと。
…そこが、この歌詞に惹かれる理由です。

そこには、なかなか思い通りにならない日々があって、
そんな中で見つけた些細な出来事を、
あたたかい視線で見つめ、やわらかく包み込むような、
そんなやさしさが溢れている。
少しずつでも、前向きに、いい方向に変えていこうという気持ちが滲み出ている。

他にも、たとえば、こんな歌詞からも、そういったものが伝わる。

ハンキーパンキー 遊ぼうよ
答えは一つだけじゃないんだよ
ハンキーパンキー 楽しいと
素直に言えるだけでいいんだよ


とか

誰かのためなんて生きれないよ

とか。

こういう言葉は、たとえば、なんでも思い通りに自由にできてしまう人にはわからない、気もする。
もしくはそういう絶好調の状態のときには、そんなには響かないような。
言ってみれば、弱気になってしまったときなんかに、スッと、自然に響くような言葉。

同じ状況や境遇であっても、見方次第で、前向きにも後ろ向きにも捉えられる。
ボトルに半分残ったワインのようなもので、
もう半分しかないと思うのか、
まだ半分もあると思えるのか、
つまりはそういうことでもある。

「もう半分しか…」と言うときには、きっと失われた空の半分に焦点をあわせていて、
「まだ半分も…」と言うときには、まだ残っている半分のワインに焦点をあわせている。

でも前向きな方向へピントを合わせることさえできれば、
きっと何の変哲もないように思える毎日にも、
いろんな幸せを見出すことができるはずだ。

当たり前のように思っていた身の回りの出来事や、隣にいる誰かのことを、
ある視点で見つめなおしてみれば、それが特別なことであることが見えてくる。
“ある視点”とは、つまり“もし出会ってなかったら…”や“失ってしまったら…”
という視点だったりもするわけだけど。

幸せの青い鳥のように、実は視界にありながら、見えていなかったものこそが
幸せの正体だったりして。

…と、そんな話を、カメラに喩えて、大学生のときにしていたことを
 ふと思い出しました。

…そのときのほうが、うまいこと言えていた気がするなぁ…という反省も踏まえて。

ひとまず…いい曲ですね。
昨日も、今日も、ずっと聞いてます。
癒される…のは、やっぱりどこか弱気になっているから?
かもしれませんね





Comment
≪この記事へのコメント≫
>「もう半分しか…」と言うときには、きっと失われた空の半分に焦点をあわせていて、
「まだ半分も…」と言うときには、まだ残っている半分のワインに焦点をあわせている。

…なるほど、と思いました。
このボトルでの例え、すごく良いですね☆
2009/04/01(水) 22:41:38 | URL | Tぞー #-[ 編集]
雑感
>同じ状況や境遇であっても、見方次第で、前向きにも後ろ向きにも捉えられる。

学生時に書きあぐねて、やっぱりやめてしまったレポートを思い出しました。
長くなりそうですが、参考までに少しだけ。

幼い子供にお駄賃として
100円を報酬とした場合(金額の多寡は別として下さい)

『100円硬貨一枚を渡すのと
10円玉10枚渡すのとでは
どちらが反応として喜ぶか』というもの

おそらく大人の私がみても仮に貰えるものならば
硬貨1枚を選ぶだろうなあとは思うのですが
その際考えられるのは
かさばらない、とか数えなくて済むとか
使い勝手がよいとか理由を挙げればいくつかあるとは
思うんですけれど、そんな理屈抜きにも
ぱっと見て分かる、また「見栄えがよいから」という一言に落ち着きましょう。

純粋に価値としては等価ですけれどね。

ただその際、眼前の不器用に並んだ10円硬貨には
明らかに取るに足らないものって作用が働いているようにも思えてしまうのです。
・・・・・・
「有用性について」―そんな風に考えるのも
社会を考えたとき所詮は表面的な、建前だけで成立していて、
本質を見失っているんじゃないのかと思うときがあるからです。
 
「ワインボトルの喩え」
余白に眼を映すとき
私には、えてして人は自分にはない能力に夢を馳せ、「もう半分も…」と
残念がり、自分が持ちうる「まだ半分も…」に値するだけの力を
取るに足らないものと思っているようにも感じます。

2009/04/05(日) 08:05:32 | URL | 行人 #23d/zxvE[ 編集]
よくある
ワインボトルの喩えは、
よくある喩えではあって、
昔どこかで見たか聞いたかしたものです。
しかも、もしかしたら何度か。

そこでは、単純にどっちを思うかで、
ポジティブかネガティブかを言い当てる
心理テストのようなものだったと
記憶しています。

まあ、可能性が少なくなっても
まだそれを楽しめることは
確かにポジティブ…というか食いしん坊で幸せですな、
と理解した記憶もありますね。

たとえばそれが一本何十万円もする
高級ワインだったとしたらどうだろうと
自分に問いかけてみても、
やっぱり「まだ半分も楽しめる」と
思うような気がします。

あともう一つ思ったのは、
とっても高価でおいしい一本であればあるほど、
僕はきっと誰かとそれを楽しみたいと思うだろうなぁと。
たとえ自分の飲む分が減ったとしても、そのおいしさを誰かと分かち合いたい。
「これうまいよなぁ…」と、そのおいしさをみんなで共有したいと思うのです。
たぶん、共有したい本当のものは、幸福感なんだろうとは思いますけど。

これもよくある有名な言葉で
引用するのもはばかられるほどですが、

友人とは、喜びを2倍にし、悲しみを半分にする。

というゲーテの言葉。
文法的にも、言葉の運び的にも、本当に言いたいことは
後半の「悲しみを半分」なんだと思うのですが、
前半の「喜びを2倍」の方が、僕にとってはリアリティがあり、
共感を覚えるところです。


2009/04/06(月) 13:57:02 | URL | kiku #Di5TU3Tw[ 編集]
ありがとうございます
お久しぶりです。
丁寧なご返答、ご意見を頂き、ありがとうございます。
後半の格言がゲーテのものであるとは、存じませんでした。
“悲しみ”よりも“喜び2倍”への共感は私にとっても同感です。

友や大切な方の喜びを素直に自分の喜び以上に祝福してあげられる
私もそうありたいものです。
音信の少ない、久しく会っていない方ほど特に。
学生時の友達にふと連絡を取り合うと
自分の立ち位置をあらためて確認することが
あったりしますしね。


山崎まさよしの楽曲『ツバメ』が頭の中をめぐります。

朝もやのかかる 人通りのない街角
静かに、軽やかに滑空する一羽のツバメ。
情景がただただ浮かぶのです。

寒さから解放され、新しい季節へと向かう。
 希望と不安が入り混じる。
そして遠く、大切な人の安否をうかがい、
気遣う。

いつか取り上げて頂ける機会があれば、ぜひ。

2009/04/15(水) 06:47:20 | URL | 行人 #23d/zxvE[ 編集]
こちらこそ
いつもコメントありがとうございます。

返信がすっかり遅れてしまいましたが、
…という決まり文句もすっかり慣れてしまいましたが、またブログにも意識を注入したいと思っています。はい。

『ツバメ』も聞いてみます。

さっそく。
2009/04/24(金) 12:48:52 | URL | kiku #Di5TU3Tw[ 編集]
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