コピーライターが気になる歌詞

我輩はコピーライターである。 出世作はまだない。
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森山直太朗 『生きてることが辛いなら』
生きてることが辛いなら
いっそ小さく死ねばいい

恋人と親は悲しむが
三日と経てば元通り






生きてることが辛いなら
いっそ小さく死ねばいい



作詞は御徒町凧(おかちまち かいと)。
『さくら』などもこの人の手によるものだという。
確かな言葉を持つ人だと思いました。

冒頭の
「生きてることが辛いなら いっそ小さく死ねばいい」が、
物議を醸しているという。
理由は明白で、自殺を助長するような表現であるからだ。
ただこの言葉は、こうした反応も見込んで、あるいはそうした反応を引き出すために、意図的に使われている表現であると言ったほうが正しい。
いわば、キャッチコピーの役割を果たしている。

その後に続く歌詞は、ボディコピーで、
人の心を射抜くようなキャッチを受け、その“心”を説いていくわけだ。
だから、「キャッチ + ボディ = 全体の歌詞」を読んでこそ、
一つの作品として成立する構造になっている。

ただ、冒頭の言葉もきちんと読み解けば、
間接的ではあるが、自殺を助長している表現では
ないことがちゃんとわかる。

ここで伝えているのは、「小さな死」。

今、自殺や通り魔事件が多発している。
その動機の中に見え隠れするのが、
死ぬことや大きな罪を犯すことで、世間からの注目を得ようとする意識。
この冒頭の歌詞は、そうした意識に対する痛烈なアンチテーゼである。
もっと端的に言えば、死を道具にして目立とうとする行動への
痛切な批判でもある。
その批判の矛先は、こういう事件を囃し立てるマスコミや世間にも
向けられている。
だからこそ、

恋人と親は悲しむが
三日と経てば元通り


と突き放すように続けることで、いかに無駄な行動であるのか、
その無意味さを説く。
騒がれたり、注目されたり、自分の不幸を知ってもらうがために、
小さく死ぬことの虚しさを、あえて現実的な視点で伝えているのである。


…「死人に口なし」として触れてはいけないような風潮があるが、
そもそも、自殺は殺人である。
被害者が自分で、加害者も自分の殺人事件。
人の命を奪うという点において、自殺者は人殺しなのである。
したがって……

…閑話休題…

少し自殺論を展開してしまいそうになるくらい熱くなりそうだったので、
最後に全体の歌詞を眺めてみたい。




生きてることが辛いなら
いっそ小さく死ねばいい

恋人と親は悲しむが
三日と経てば元通り

気が付きゃみんな年とって
同じところに行くのだから

生きてることが辛いなら
わめき散らして泣けばいい

その内 夜は明けちゃって
疲れて眠りに就くだろう

夜に泣くのは赤ん坊
だけって決まりはないんだし

生きてることが辛いなら
悲しみをとくと見るがいい

悲しみはいつか一片の
お花みたいに咲くという

そっと伸ばした両の手で
摘み取るんじゃなく守るといい

何にもないとこから
何にもないとこへと

何にもなかったかのように
巡る生命だから

生きてることが辛いなら
嫌になるまで生きるがいい

歴史は小さなブランコで
宇宙は小さな水飲み場

生きてることが辛いなら
くたばる喜びとっておけ
生きてることが辛いなら





…こうして全体を眺めてみると、自殺を助長するような歌でなことはより明らかになる。
ただし、単純に生きることの素晴らしさを讃えるような楽観性は、ここにはない。

何にもないとこから
何にもないとこへと

何にもなかったかのように
巡る生命だから


この死生観は、簡単に人生に意味を付与するような姿勢とはまるで違う。
無から生じた命はやがて無に帰す。
そのわずかな命さえも、まるで無と同じようなものなのかもしれない。
ただ、ここに不思議と絶望はなく、心地よい達観だけがあったりする。

人生なんてしょせんそんなもの。
辛いことや悲しいことばかりだし、
いずれは自然と消えるもの。

だから…無意味だ、と絶望するんではなく、
だから…生きてみるか、と開き直ってみる。

どうせ…無駄だ、と諦めるのではなく
どうせ…だったらと、前を向いてみる。

なぜなら、どんなに悲しみや辛いことが多い人生にも、
喜びや幸せと呼ばれる出来事が起こることを人は知っているから。
くたばることさえ喜べるほど、人間は摩訶不思議な生き物なのだから。










Comment
≪この記事へのコメント≫
追記…
私が選ぶ2008年のベストソング
…に、まさに勝手ながら、いまさらながら、決定しました。
ちょうど昨日iTunesで曲を購入して、ずっと聴いていて、そう決めました。おめでとうございます。

さておき、聴きながら気づいた、書き残していたことについてここで触れたいと思います。
つまり…

 歴史は小さなブランコで
 宇宙は小さな水飲み場

…この表現について。

ここで注目すべきは『小さな』という表現。
「歴史」も「宇宙」も、常識的に考えればかなり大きな単位であるにもかかわらず、
 歴史=小さなブランコ
 宇宙=小さな水飲み場
と、公園にあるありふれたモノに喩えているわけです。
しかも逆に、「大きなブランコ」でも「大きな水飲み場」でもなく。

これは、ある種の詩的で私的な世界観の問題だと言ってしまえば、それまでですが、ここにはどんな意味が込められているのかと、メッセージの受け手としては考えてしまいたくなります。

歴史は繰り返す―という言葉があるように、振り子の揺れ動きから連想された比喩であることは想像できても、宇宙を小さな水飲み場と捉える表現…というか感覚は、少し想像を超えたものではあります。

歴史と宇宙という、壮大なロマンをやけに小さく喩えたものだ…という驚きの中から、その意図を読み解くに、おおざっぱに言えば、

雄大な星空を眺めていたら、自分の悩みなんてちっぽけなものに思えてくる…

とか

星の数ほど女はいるさ…

とか、そういったメッセージに近いものがそこにはあるような気がしています。

本文にも書きましたが、この歌詞の世界観においては、物事に簡単に意味を付与するような姿勢とは一線を画しています。
生も死も、生きるということも、何か特別な与えられた意味があるというわけではない。
だからこそ与えられた命の限りに生きていくんだと。もしかしたらその意味を探し続けることが、生きることなんだと、言っているような気がします。

そういった世界観からすれば、歴史や宇宙さえも小さなものに見えるのかもしれません。
というより、人間とは、「そんなもんさ」と、あえて想像することもできる生き物だと。

悩みを宇宙の壮大さに比べて、小さなものだと感じることもできるし、
宇宙を小さな水飲み場として想像することもできる。
つまり、

悩み < 宇宙 < 想像力

みたいなことだって、できてしまうわけで。

結局のところ、それがあっているのか間違っているのかを超えて、
自分の想像力の中ではこういったメッセージを受け取ったような気がしています。

タイトルからして逆接に満ちたこの曲は、
まさに逆説に満ちた人生そのものに喩えられるんじゃないかと、思ったりもします。

悲しいニュースを聞くたびに、
ずっと聴いていたい、そんな曲です。
2009/05/07(木) 19:20:35 | URL | kiku #Di5TU3Tw[ 編集]
そうだよ
生きてることは辛い
そりゃそうだよ
そのことを否定する奴は、まだそこまで至っていないだけで
人は必ず死ぬということの意味も真剣に考えていないだけで
人生は苦に溢れているよ
それは同感
でもね、なぜ生まれてきたのかと言えば
それがお前のテーマなんだよ
2010/10/15(金) 02:31:57 | URL | ボブ #-[ 編集]
メメント・モリ
ラテン語で「死を想え」というこの言葉は、ペストが流行った時代にヨーロッパで流行った言葉だそうです。
それはまさに「メメント・モリ」という有名な写真集によって知ったわけですけど。

藤原新也の「メメント・モリ」で、やはりなんといっても衝撃的なのは、
人間の死体を食べる犬を撮影した上に、
「ニンゲンは犬に食われるほど自由だ」と言い表したところ。

これには…若い自分も多分に影響を受けてしまい、そのわかりやすすぎる帰結として、
典型的なバックパッカー旅行をするに至るわけですが。

…コメントをいただきそんなことをふと思い出したりしました。
死を想うからこそ、生の価値がわかる。
限られた人生でよかったと、本当に思います。

なぜ生まれてきたのかがテーマだとズドンと言われると…多少こたえに窮するところはありますが、うまく説明できなくても、そこに対してある一定の想いを心の中に描けるようにはしておきたいと思っています。

私自身の青臭い夢としては、
自分がこの世にいなければ
この世に存在しなかったであろうものを
思いこみでもいいから残したい
というものです。
子ども、以外で。

2010/11/05(金) 15:59:27 | URL | kiku #Di5TU3Tw[ 編集]
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